2012年10月22日月曜日

時期不明 「流れの中で(1)」



流れの中で(1)

山之端一博

漂よう少年時

驛の夜明━━━雀の群が、木の梢、屋根
の端へと群れ騒ぐ。少年はベンチに眠り
不思議な夢をかきいだく。 小麦色の少
女よ。汽車に乗って旅立う。土もあり、
植物もあり、木もあり、石もある。家を
作り、服を作り、五線紙の上へ新らしい
風景を定着しよう。風も水も日光も、新
たな結合の中で輝やくことだろう。東の
空からヴェールがはがれ、芝井は今、始
まろうとしてゐる。いともやさしく、い
ともものやわらかに。━━いざとなった
ら叩き合ひ泉のふちに寝轉がる迄さ。
朝だ。朝だ。夢は日光にとけて赤く輝く。

朝━━━光は肉体をつき刺す。汚物は流
れ去る。脳葉は鋭く柔らかく━━一個の
海綿となる。人間の形、動き、量が、次
々と収穫され、次々と刈りとられ━━━
細胞の廻轉は、快適なリズムとなる。山、
川、丘、谷、森━━花の咲きこぼれた湖
畔、或いは泉の蔭。露の閃き。━━銀波
の輝き。少女の髪が朝風におどり、微笑
は新鮮な果実となる。青空へ立ち昇る、
オレンジ色の火山灰。その向うへ虹。
溢れこぼれる光の饗宴。

港━━━少女の死。幻影の逃亡。船は港
に止って動かない。少年は突堤の突端で
じっとたたずむ。海を漂ようけし粒。黒
い点。絶え間ない動揺。海の唄。少年は
海底へ沈む。……大空をかけ昇る白馬の
群………窓辺に開かれた空白のノート。
しのびよる曙。移り行く影。洗われた甲
板の冷たさ。少年の背中に伝わるエンジ
ンの始動。船はゆたゆたと沖へ漂よう。
音のないドラ。はためくマストの信号旗。
野蛮な、未知の、黄色い港。

漂よう船━━━黄色い濁流を水死人の群
が流れる。捨てられた木箱の中の閃めく
宝石。椰子と阿檀葉と共に珍奇な昆虫も
流れる。黒人女パスカの乾いた笑いも流
れる。━━━今、黒い貨物船は北にある。
灰色の海と、灰色の空と、灰色の霧の中
にある。帆はハタハタと白く輝やき、マ
ストは銀色にこおりつき、氷山が左右に
漂よう。岩石の肌は鋭角にとぎすまされ、
光と影が、ノミの刃となって砕け散る。
船底に石炭は赤々と燃え、スコップを握
る火夫は船長である。船窓からのぞけば
氷原を走る銀狐の群。群狼の遠吠。━━
貨物船は漂ひ進む━━太古の洞穴、輝や
くオーロラ、閃めく風光、未知の色彩 
━━開かれざる歴史━━ 氷原に埋れた
原初の跡。

北の国━━ゲルマン人は、冬の木立の間
を、山犬をつれて鹿を追い、南へ降りる。
枯れた立木。ポキポキと小枝の折れる音
が谷間をわたる。雪の原野に鹿の足跡。
谷を滑り降り鹿を待つ。━━━しッ。樺色
の枯葉のしげみにかさかさする音だ。一
瞬、白いしじま。閃めく槍。鹿は声も立
てず、赤い血は湯氣をたてて雪をとかす。
枯葉をあつめて火をたこう。肉(しし)が焼ける
匂いが立ちこめる。紫色の煙が、青い空
へ舞い上る。笑い。さんざめき。少年達
の頬は雪に焼け、青い瞳は南を指す。行
く果はギリシヤ。紺青の地中海、南風の
想いに胸は膨らむ。

美しい火の拡野━━━妖艶な姿をした悪
魔の手をのがれ、輝やく夜の拡野を走っ
たトロイカの群。━━夜には去った。鈴
の音もきこえない。唖の少女の白い頬に
も陽がかげる。少年は机に向い、幻想に
ふける。窓外は田舎道。小鳥も啼かず牛
も啼かず、羊も啼かない。牛車の音すら
きこえない。━━━微風にカーテンがゆ
れる。海から押しよせる潮の香。防風林
のざわめき、枯葉の散乱。唖の少女が笑
ひかける。戸を開き、連れだって砂浜を
ふみしめる。砂丘の向うに愛馬の墓標。
渚に打ち上げられた木椀、難破船のかけ
ら。潮の唄は子守唄。もう■だ。林の中
のふきあげの輝き、まどろむ白兎。より
そう二人の上へ木々は枝を拡げ、空より
落下する花輪の群。