山之端一博年譜


山之端一博氏の年譜です。
内容は2011年8月の「いっぱく展」のパンフレット制作時のものです。
現時点ではかなり正確なものですが、
パンフレット用にみんたまあスタッフでの議論により
詳細年表から取捨選択してあるために、抜け落ちてある部分もあります。
今後調査研究が進んで判明した事柄は、
フォントの色を変える等、分かりやすく表記掲載していきたいと思います。(yas)


1923年(大正12)
 9月27日、那覇市西新町に父・山入端隣次郎、母・ハナ
の三男一女の次男として生まれる

1929年(昭和4) 6歳 
天妃尋常小学校入学

1936年(昭和11) 13歳 
沖縄県立第二中学校入学、比嘉景常先生に学ぶ

1938年(昭和13)15歳 
樹緑展出品(1940年まで)

1941年(昭和16) 18歳 
沖縄県立第二中学校卒業

1942年(昭和17)19歳
早稲田大学第一高等学院文学科(独文)入学、絵の道に進みたかったが学費を出してもらう為断念する
本郷絵画研究所などで絵画研究 (本郷絵画研究所1912-1925岡田三郎肋・藤島武二)
6月、三浦一術と知り合い多大な影響を受ける

1943年(昭和18) 20歳
2月、妹・直が進学のため上京、麹町の福州館で 一緒に下宿
4月、平河町へ移る、イタリア文化協会の イタリア語講習会へ通う
ドストイエフスキー作品のほとんどを読了 8月、労働奉仕隊として樺太へ1ヶ月ほど鉄道工事
10月7日、父・山入端隣次郎病死(享年61歳) 名護で町葬
太平洋戦争に召集される(第一次学徒動員令) 12月、宮Ill奇県都城、西部17部隊へ入営

1945年(昭和20) 22歳 
5月16日、三浦一術、フィリピン東方山中にて戦死
8月、宮崎県で終戦、その後、9月熊本県で除隊復員

1946年(昭和21)23歳 
終戦後、鹿児島の塩田で働く
上京、10月下旬に三浦一術の戦死を知る 
秋、早稲田大学復学

1947年(昭和22)24歳 
5月、南燈寮に入寮(昭和25年まで)

1948年(昭和23) 25歳
南燈寮で沖縄学生同盟会会長に就任(前任:西銘順治元沖縄県知事)、 
機関紙『瑞泉』発行

1949年(昭和24)26歳 
画家小出峯雄氏の紹介で日本美術会へ入会

1950年(昭和25)27歳
2月、第3回日本アンデパンダン展出品(東京都美術館)、 
この頃、絵描きになる決心をする

1951年(昭和26)28歳 
2月、第4回日本アンデパンダン展出品
3月、早稲田大学政経学部経済学科卒業 
4月、奈良県立桜井高校に採用、社会科・歴史を教える
教職の傍ら絵画研究・制作、グループ展・個展で作品 発表

1952年(昭和27)29歳 
宮崎の中学で教員をしていた大嶺恭子さんと結婚 
50日間の沖縄旅行(12月22日大阪発、27日那覇着)

1953年(昭和28)30歳 
沖縄旅行から戻る(2月9日那覇発、13日神戸着)

1962年(昭和37)39歳 
奈良県立畝傍(うねび)高校赴任

1972年(昭和47)49歳 
沖縄、日本復帰

1975年(昭和50)52歳 
4月、沖縄県立辺土名高校へ赴任、名護市に住む
地域の美術運動を推進 
第2回やんばる展に出品、以後毎回出品

1976年(昭和51) 53歳
第4回サロン・デ・ボザール展大賞受賞 作品「肥料をやる」

1977年(昭和52)54歳 
8月、第1回個展(沖縄物産センター)
サロン・デ・ボザールスイス展(日本アマチュア100人展)ジュネーブ振興会賞受賞作品「放たれた馬」

1978年(昭和53)55歳 
4月、琉球新報「落ち穂」執筆(6月まで6回掲載)
母.山入端ハナ死去(享年79歳)

1979年(昭和54)56歳 
やんぱる絵画同好会会長(1985年まで)

1980年(昭和55)57歳 
第1回やんばる絵画同好会展(沖縄タイムス社ホール)

1981年(昭和56)58歳
3月、作品「梯梧と海」が名護市史・資料編・1『近代歴史 統計資料集』の表紙に採用
個展(名護画廊) 
第2回やんばる絵画同好会展(県民アートギャラリー)

1982年(昭和57)59歳 
9月、新生美術協会、第1回新生美術展出品(県民アートギャラリー)
第2回現代沖縄作家展出品 (沖縄県美術家連盟主催・県民アートギャラリー)
第3回やんばる絵画同好会展(県民アートギャラリー)


1983年(昭和58)60歳 3月、定年退職
個展(名護画廊)
9月、「やんばる絵画同好会展」を「名展」へ改名、 
第4回名展

1984年(昭和59) 61歳
名護博物館所有の宮古馬の「馬之介」を気に入り世話をするように
1月、名展スケッチ展(名護博物館ギャラリー)
8月、個展「シリーズ・馬水彩画展」 (名護博物館ギャラリー)
8月、第5回名展(名護博物館ギャラリー) 
12月、名展スケッチ展(名護博物館ギャラリー)

1985年(昭和60)62歳
名護市民会館中ホール緞帳「森の調べ」制作 (10.4m×6.4m)
12月、名展スケッチ展(名護博物館ギャラリー)

1986年(昭和61)63歳 
2月、個展「小品画展」(名護博物館ギャラリー)
11月、水彩画集『シリーズ・馬1984』発刊、 
出版記念展示会(名護博物館ギャラリー)

1987年(昭和62)64歳 
3月、那覇近現代美術展出品(那覇市民ギャラリー)
個展(名護博物館ギャラリー) 
4月30日、馬之介死去
5月、個展「即興シリーズ」(名護博物館ギャラリー)

1988年(昭和63)65歳 
11月、新生美術展出品(名護博物館ギャラリー)

1989年(平成元)66歳 
10月、三浦一術遺稿詩集『流れ星』発刊、追想を寄稿

1990年(平成2) 67歳 
8月、個展(東京銀座フジヰ画廊モダーン) 
画集『南の星座』出版

1991年(平成3)68歳 
名護岳の森に山小屋を建てる
9月、個展「南の星座」展(名護博物館ギャラリー) 
個展(サロン・ド・ミツ)

1992年(平成4)69歳 
1月、沖縄タイムス「唐獅子」執筆(6月まで10回掲載)
6月、現代沖縄絵画パート2-抽象画の現在出品 (リウポウ美術サロン)

1995年(平成7)72歳 『南燈寮草創記』発刊
表紙デザイン、本文挿絵を手がける 
9月、個展(名護博物館ギャラリー)
10月、戦後50年沖縄の美術家展出品 (那覇市民ギャラリー)

1996年(平成8) 73歳 
8月、福岡樹緑展出品(福岡市美術館市民ギャラリー)
10月、沖縄戦後美術の流れ・シリーズ2出品 (浦添市美術館)

1997年(平成9)74歳 
5月、個展(リウボウ美術サロン)

1998年(平成10)75歳 
5月、新生美術展出品

2000年(平成12)77歳 
9月、個展「浮遊」(名護博物館ギャラリー)

2001年(平成13)78歳 
3月、作品「兆」、『新生美術』12号表紙掲載
(創設20周年記念・新生美術協会)

5月16日、急逝(浦添総合病院) 
この年まで名護市文化協会展、新生美術展、沖縄県美術家連盟展、沖縄平和美術展、やんばる展に出品し続けた

2004年(平成16) 
5月、山之端一博遺作展(名護市民会館中ホール)

2009年(平成21)
1月、山之端一博回顧展 「いつばくさんのまなざし展」シリーズ1
(ギャラリーみんたまあ)
8月、山之端一博回顧展 「いつばくさんのまなざし展」シリーズ2
(ギャラリーみんたまあ)

2011年(平成23) 
8月、名護博物館へ絵画収蔵、膨大な資料も寄贈される

「いっばく展」 ー名護やんばるを愛した画家 山之端一博の世界一
(名護博物館ギャラリー・ギャラリーみんたまあ)