2012年9月15日土曜日

1990「月刊美術」9月号掲載 南の星座、海、森の風


南の星座、海、森の風

 那覇の港の近く、珊瑚礁の埋立地で、潮の香にさらされ、潮の揺蕩の中で私は育った。潮のリズムへの共感は生まれつきのものである。海へもぐり潮の波動に身をゆだねて眼を開くと、鯛の群が私をとりまいて泳いでいた。私を不思議そうにみつめているギョロギョロした鯛の目付が忘れられない。
 父母の出身地は、山原といわれ、砂浜に面し、山野にかこまれた農村であった。私はよくそこへ遊びにいった。茅ぶきの家は夫々、福木(常緑高木の熱帯アジアの防風林)にとりかこまれて、全体として、集落というよりむしろ、福木の森という感じであった。常食であった芋を掘りにいったり、川へ蝦や鰻をとりに入ったり、森の中で目白を突きに行ったりして、一日中を過ごした。電灯が十分普及していなかった当時は、日暮れと共に星座がが頭上にあらわれた。明るい星空の下を大蝙蝠が黒い羽をひろげてとび廻った。
 大学を卒業して、奈良で仕事についたが、夏の休暇には、三重や和歌山の海へゆき、大台ケ原の原始林の中をさまよった。
 二十数年ぶりに帰ってきた沖縄は、戦争による荒廃から、見事に立ち直り、復興しつつあった。しかし、最近、開発の名のもとで、森や海岸が破壊され、島の人々の生活にもひずみが目立ってきた。そのような状況に対する抵抗や、島の自然や生活を守る活動もたかまりつつある。
 戦争へゆく前、ちょうど三浦とつきあっていた頃、私は森の中へ入るのが夢であった。この夢は戦争と戦後の激動の中で実現出来なかった。老境へ向いつつある今になって、水道も電気もない森へ入り、森の風に耳をかたむけ、星のまたたきにつつまれて生活したいと、準備しつつある。山小屋暮らしである。
 リズムのよい詩や、音楽の旋律やハーモニーが、人々をつつみこんで感動に導くように、画面が無限の拡がりをもち、呼吸しているような絵、見る者をゆっくりとつつみこんでしまうような絵を私は描きたいと思っている。「星座」や「海」や「森の風」はこのような絵に適しているようである。
 三浦の詩編「うみのまど」には、果てしなく、せつない海のリズムがある。「一本道」「徑」などには、森の風に吹かれて、樹や草や川のせせらぎに共感して、旅する漂泊のリズムがある。「流れ星」「征旅」には無限に拡がるスケールの大きいロマンがある。それは星座のまたたきにつながる。
 三浦は南海の潮に身をひたし、ジャングルの奥で森の匂いに感応したにちがいない。
 私は三浦へのレクイエムにふさわしいものとして、「南の星座」「海」「森の風」をモチーフに取り上げた。

1990年 「月刊美術」9月号掲載  銀座「フジヰ画廊」個展関連