2012年9月15日土曜日

1990.8.30 [南の星座] 山之端一博画集 詩人・三浦一衞に捧げる鎮魂の曲



[南の星座] 山之端一博画集 詩人・三浦一衞に捧げる鎮魂の曲 フジヰ画廊





あとがきより

森の風よ やわらかに吹け
南の星座よ 永遠に瞬け

 詩人・三浦一衞は、1945年(昭和20年)5月16日、フィリピン・マニラ東方の山中で戦死した。戦後しばらくして私は、彼の遺稿詩集を出版したいと思いながら果たせずにいた。3年前、藤井一雄さんと池田孝二さんも出版を熱望していることがわかった。妹・玉那覇直や大分の詩人・首藤三郎さん、三浦の義兄・川田彦馬さんとも連絡がとられ、三浦一衞・遺稿詩集「流れ星」が遂に陽の目をみ、フジヰ画廊から発行された。死後実に半世紀ちかくが経っている。三浦を中心にして結ばれている目に見えない不思議な絆を感じない訳にはいかなかった。
 今年の4月5日、友人、知人、縁故のある方々が、三浦の菩提寺、島根県・津和野の光明寺に集い、霊前に三浦一衞・遺稿詩集「流れ星」を捧げ、ねんごろに法要がとりおこなわれた。

 三浦との交友は、1942年6月から、私が第一次学徒動員で沖縄へ帰った、1943年の9月まで、わずか1年余であり、毎日のように彼と生活を共にしたのは、下宿が近くにあった最初の数ヶ月にすぎない。しかし、「…三浦の朗読をききながら、詩や戯曲への理解を深めた。それは私の感性を決定的に鍛練した。私は生きていく上で、極めて大切なものを与えられたと思っている。…」と、遺稿詩集「流れ星」の中の「追想」で書いたように、私にとって三浦はかけがえのない友となった。
 私は絵が好きだったので、大学の美術クラブでデッサンをしたり、戸山ヶ原や江戸川公園でスケッチをしたり、友人の肖像画を描いたりした。麹町平河町にあった三井コレクションで、初めてルオーの原画(女の半身像)をみて、その分厚い、圧倒的なマチエールからせまってくる、激しい生命感に、大きなショックを受けたのもその頃であった。
 首藤三郎さんは、遺稿詩集「流れ星」の、最後の詩編「征旅」の「作品解題」の中で、「…応召の前夜、燈火管制下の部屋で、彼が私に語ったのは、戦争やこれからの運命などについてではなく、ランボオの詩についてであった。」と書かれている。ランボオへの傾倒ぶりと、詩に対する探求心のすざまじさがうかがわれる。彼にとっては「詩」が「生命」そのものであった。私が絵を持続している一つの源は、このような彼の、詩に対するひたむきな姿勢の影響であろうと思われる。
 遺稿詩集を出したいと思ったのは、三浦の詩を評価したからではなかった。彼は古今東西の詩を紹介し、朗読してくれたが、自分の詩については余り語らなかった。当時朗読してくれた彼の詩は、「風景画」「光芒」「一本道」など、極く限られたものであった。しかし、きっとすばらしい詩を残しているにちがいないと、確信していたからである。遺稿詩集「流れ星」ではじめて「まど」以下「征旅」に至る詩篇に接し、やはり予想は的中していた。
 私は彼の詩に触発されて、「詩に形象化」に新たな制作意欲をかきたてられた。しかしこれは中々大変な仕事である。私はまた大きな研究課題を背負わされたようだ。画集の作品の一部は「詩の形象化」の試みである。
 川田彦馬さんは、妹への手紙で次のように書かれている。「…輸送船が魚雷をうけて沈没し、この時、福岡で編成された部隊の殆どが戦死して、弟は僅か十何人の生存者としてフィリピンに上陸したそうです。…戦友が見たとき、海水につかったので…父から貰った腕時計は、これも戦前のものですから錆びてこわれていたそうです。…戦友は喘息の発作はなかったようだと言っていました。からっとした南の国の風土と、前線での緊張感がきっと幸いしたのだと思います。ここまでは弟の前線での生活は順調だったと思うのですが…」
 三浦は、「見者」として南海の苦い塩水を味わい、強烈な紫外線に肌を焼き、砲弾の絶えた静かな時間には、「森の風」に耳をすまして、草の匂いをかぎ、「南の星座」に見入って、ランボオを想い、詩を想って、束の間の生命の時間を、雄々しく生き抜いたにちがいない。鎮魂の意味もふくめて、「南の星座」や「森の風」を捧げる次第である。
 今回、藤井一雄さんが、「山之端一博絵画展」を発案・主催して下さり、池田孝二さんが出品作を中心に画集を編集して下さり、杉浦康平さん、谷村彰彦さんが造本・デザインをして下さった。心から御礼申しあげる。
 絵画展中の9月3日は奇しくも旧盆である。三浦はフジヰ画廊にも訪れるであろう。三浦が愛唱していた「ルバイヤート」の一歌がきこえてくるようだ。

愛しい友よ、いつかまた相会うことがあってくれ、
酌み交わす酒はおれを偲んでくれ。
おれのいた座にもし盃がめぐって来たら、
地に傾けてその酒をおれに注いでくれ
  オマル・ハイヤーム 小川亮作訳・岩波文庫より


1990年8月30日


ルバイヤート  オマル・ハイヤーム→http://www.aozora.gr.jp/cards/000288/files/1760_23850.html