2012年8月6日月曜日

1976  奈良から来て  辺土名高校生徒会誌


奈良から来て

 住みなれた奈良県を去って本校へ勤務することになり、今から二十三年前の一九五三年一月に本校を描いたスケッチがあるのを知って、不思議な縁だと感じいりました。第一次学徒動員で軍隊へ行ってから約十年ぶりで故郷へ旅行したとき、本校の先生に辺戸岬まで案内してもらい、帰る途中、教室で話をする破目になってしまいました。
 内容まではっきり覚えていませんが、沖縄は戦争によってひどい目にあい、今尚、占領下のきびしい状態にあるが、本土や東南アジアの人民とともに平和な未来をきづくことにより希望が生れる筈だといったようなことを話したように思います。
 生徒諸君が、眼を輝かせて聞いてくれた情景が昨日のように思い出されます。彼等も、もう四十才前後になっている筈です。話の途中から雨が降り出し、屋根がパラパラして話が出来ず困ってしまいました。
 米軍のコンセット(かまぼこ兵舎)の教室で床もなく、椅子も机も砂の上にありました。あの当時のスケッチをみると茅葺の掘立式の建物なので、屋根がパラパラするのはおかしいと、新里教頭先生に聞いてみるとそれは教室ではなく、地域の人々がつくってくれた寄宿舎とのことでした。よく考えてみると、今の視聴覚ビルのあたりを、饒波橋のあたりからスケッチしたもののようです。
 粗末な建物とはいえ、あの苦しい日々の生活を考えると、本校に対する地域の方々の並々ならぬ協力と教育への情熱が感じられ、尊いものであるとしみじみ思います。
 辺高の者はこのような歴史を大切にしたいものです。

  海遠く 三輪山おもう 急転勤
  車窓より 潮騒あびる 急転勤
  白雲や 海白くして 島ただよう

  大和は国のまほろば たたなづく 青垣山
  もこれる大和し 美し……(古事記)

 奈良県には海はありませんが、美しい山々があります。
 二十年以上も三輪山を眺めながら通勤しました。併し、今、山原の海を眼前にして、あらためて海の美しさに魅せられています。真夏の静かな日、塩屋から沖をみると空に白雲が拡がり、その白い影が海に映じ、水平線がさだかでなく古宇利島が浮いてみえます。
これも又絶景の一つです。啄木は「雲は天才である」と言っていますが海も亦、千変万化、いくらみてもあきることがありません。少年の頃、悲しい時、海へゆき、潮の音に慰められたことを想い出します。
 本校の生徒が一般的に純情、素朴で親しみ深いのは、山原の美しい海と山のせいでしょうか。併し、ヤンバラーのもつ剛健な積極性が弱くなっているように思います。塩風をつっきって、毎日五八号線を、ひた走りに走り、練習に練習を重ね、遂に全県下を制覇し、京都でおこなわれる全国大会へ駒をすすめた駅伝の勝利が示すように、忍耐に忍耐を重ね、努力に努力を重ねて、栄光めざし頑張るならば辺高生の未来には洋々たるものがあると信じます。純情にして剛健ーーー この本校の長所をはっきり自覚し、あらゆる面、特に学習面に積極的にとりくむこと、これがもっとも大切なことのように思います。
 まさに「勇をもって事に当れ」です。断乎として頑張りましょう。

1976年 辺土名高校生徒会誌