2012年8月26日日曜日

1992.1.31 沖縄タイムス 唐獅子「フェーヌ島の衝激」



フェーヌ島の衝激

 一月十九日、日曜日、名護市民会館大ホールに於て、「全島南ヌ島大会」がおこなわれた。私は去年の大会で衝撃をうけたが、今年もまた衝撃をうけた。「フェーヌ島」はすごい。何故すごいのだろうか、自分でもわからない。「フェーヌ島」は私を呪縛する。これは見せる為の所作ではない。共同体の成員の代表が、地の霊を呼びさまし、豊饒を祈り、天の霊に感謝する所作である。しかし、地の霊はなかなか醒めない。だから足で大地を踏みしめ、音の出る棒で強く叩く。
 勿論、神の宿るアシャギーの前の広場で、はだしでおこなわれた筈である。足の裏には大地に通じるあたたかさがある。棒は悪獣・毒蛇を警戒させる錫杖に、にているが、フェーヌ島の棒は、おそらく祭文読みが神に語りかける時に音を出すのと同じ系統のものだろう。仏教のような体系化されたものではなく、原始的な素朴な感じがする。地の霊をさますのには音を出す必要がある。
 演技者は、頭に赤いヒモを垂らして顔をかくす。ヒトの顔ではない。超人的なおもむきがある。奇声を発し狂ったように大地を叩く、奇声もまたヒトの声とはおもえない。地の霊と語る、ヒトと神の仲介者の性格を表現しているのだろう。エネルギーをぶちまけ、地の霊力に感応するかのようである。大地の霊力を感じとった演技者は手を上に上げ「カフー」と静かに、空へ向かって息を吹きかける。あたかも、太陽の光と熱、雨や風をもたらす天の霊に感謝の祈りを捧げているようだ。この動と静のくりかえしで、ヒトは地の霊や天の霊と合一する。
 フェーヌ島を観、聞いてみると、大地や森や岩石や樹や風の精が自分を包みこんでしまい、思わずめがしらが熱くなるような感動をおぼえる。芸能のもっとも大切なものが息づいているようだ。所作がはげしいので、若い男子にしか出来ない。このすごい宝物を若人が是非継承してほしいものである。

沖縄タイムス 唐獅子 1992年1月31日掲載