2012年8月18日土曜日

1978.4.12 琉球新報 落ち穂「スイスの軍用機」 


スイスの軍用機

 長い風雪に耐えて、ごつごつと節くれだち、今、芽を吹かんとしている、レマン湖畔のプラタナスのすばらしい並木。街路にそって続く広々とした花壇の、目のさめるようなあざやかさ。何百年という歴史をたたみこんで、しっとりと、微妙な色彩に輝く家々の石の壁。郊外にひろがる、なだらかな起伏の緑のじゅうたん。その間に点在する、桜ンボをとる桜のみずみずしく鮮やかな薄桃色の花。農家が思い思いに塗りこめた、開かれた雨戸の多彩な原色。ーそれら、すべての風景が、まだ冷たい清澄な四月初めの空気の中で、夢幻的な世界を現出している。
 ジュネーブからベルンへむかう、レンタカーの中で私は夢心地になっていた。
 突然、運転手がフランス語で、叫ぶように話し出した。案内役のルドルフ君が、うなずきながら日本語で話してくれる。
「右手に見えますねー、広い空地。飛行場です。目立ちませんが、地下はすばらしい格納庫です。このような飛行場が、そうとうありますよ」
 滑走路には十数機の黒っぽい戦闘機がならんでおり、その中の二、三機が動き出していた。離陸の訓練でもしているのだろうか。
 ジュネーブ出身の運転手は、その後もスイスの防衛について、熱っぽく話しかけた。
 スイスの男子は二十歳から六十歳まで、すべて兵役の義務をもち、毎年、短期間ではあるが、訓練をうけている。各家庭には銃が準備してあり、いつでも戦闘に立ちあがれる。第二次世界大戦がおこった時には、ただちに五十万の大軍が動員されたそうである。
 このような、市民皆兵の強烈な防衛意識は、十字軍運動以後の新しいヨーロッパ諸国の利害関係が錯綜する渦の中で、十三世紀の後半以来、スイスの人々が、必死になって独立を確保することによって、平和を守ってきた、はげしい、長い、たたかいの歴史の裏付けがあることを知らされた。窓外の移りゆく、美しい風景を眺めながら、きびしい、平和の課題をかかえる、沖縄の、島々のたたずまいや、青い海のひろがりに、しばし思いをめぐらした。

琉球新報 落ち穂 1978年4月12日掲載