2012年8月26日日曜日

1992.3.27 沖縄タイムス唐獅子「カラフトの夏」



カラフトの夏

 北海道からカラフト(今のサハリン)へ渡ったのは一九四三年(昭和十八年)の夏だった。アメリカの潜水艦にねらわれていたので、連絡船はジグザグコースをとり、魚雷を避けて大泊(サルコフ)へ着いた。岬の岩場から、海へ飛び込む少年たちの赤銅色の裸が印象的で、「ああ、北国でも夏は泳げるんだなぁ」と妙に感動したものである。
 国鉄最北端の駅「敷香」へ向かって、汽車はひた走る。窓外は、エゾ松、トド松、時たま白樺と、全く単調な森林の連続。時折、数十キロに及ぶと想われる。黒い焼け野ヶ原がひろがる。落雷による山火事の跡である。無人の広野を貫く道路には、約1キロ毎に、高さ1メートル程の土管が立てられている。「あれは何ですか」と地元の人に聞くと、吸殻入れですよ。空気が乾燥していますから、吸殻を地面に捨てると、ツンドラが燃え出し、山火事になるんです」との返事。なるほど。
 我々の仕事は、北緯五〇度のソ連との国境地帯まで、日本帝国陸軍のために鉄道を延ばすことであった。鉄路の両端に深さ1メートル、幅数メートルの溝を掘り、その土を中央に盛り上げる。スコップによる単調な重労働。「休憩」の命令が出ると、皆、土の上に仰向けにぶっ倒れ、萬年氷(地下五十センチから下の土は固い氷になっている)を抱いて休む。直射日光で焼けた体をひやすためである。下草は鮮やかな花々の色彩でおおわれている。
 一ヶ月の労働を終えて帰る八月の末には、花々は散ってしまい、羽をつけた種子達が、吹雪のように広野を舞っている。北国の夏は一時に生命が燃え上がり、春と夏と秋が一緒に来るようなあわただしさだ。
 今朝、名護のナングスクへ登る。おびただしい楠の枯葉が道路を覆い、楠の黄緑の新芽が、すでに深緑になっている葉ざくらの中にまぶしい。沖縄の春は、秋からいきなり夏へ向かう気配である。

 沖縄タイムス 唐獅子 1992年3月27日



大泊→http://www.k3.dion.ne.jp/~karafuto/oodomari.html

敷香→http://www.k3.dion.ne.jp/~karafuto/sisuka.html