2012年8月18日土曜日

1978.4.23 琉球新報 落ち穂「ベルンのホテルで」


ベルンのホテルで

 ホテル・シュヴァイチェルホッフの廊下は二重、三重に絨毯が敷きつめられ、薄暗い壁には時代がかった版画が掛けられ、由緒あり気な油絵の肖像画が、こちらをじっと見つめたりする。古色蒼然たる、様々な家具類は数百年の生活を語りかけ、精巧に細工されたシャンデリアやブラケット、木製のベッドなど、すべてにスイスの伝統が生きている。磨きあげられ、どっしりと黒光りする椅子に腰かけて、夕暮れの静寂の中で、しばらくじっとしていると、まるで自分が、ヨーロッパ近世の歴史の舞台へ迷い込んだ一人物のような気がして、空想が果てしなく広がり、軽い、しかも豊かな気分に満たされる。この気分は七百年前に建立されたといわれる時計台からベルンの街に流れ広がる、ジャラン・ジャランという悠長な鐘の音によって更に深められるようだ。
 このすばらしい気分も、思えば長い間守られてきた平和のたまものであると、しみじみ感ずると共に、戦争によって失われた首里の城門をはじめとした数多くの建造物に思い至るとき、つくづくと平和の尊さを痛感させられた。
 ホテルを出ると、大通りをへだてた真向かいが、スイスの首都ベルンの表玄関で、その近代建築の高い壁には、大きくドイツ語、フランス語、イタリア語で、「ベルン駅」と表示がされている。
 スイスではそれぞれの地域でドイツ語、フランス語、イタリア語、それにこれら三つの言語が混ざり合ったロマンシ語の四つの言語が自由に話されている。七〇%以上の人々がドイツ語をつかっているが、そのドイツ語も各州(カントン)毎にそれぞれ特色があるそうである。一つの国民が、異なった言語を話すということは非常に不便で、面倒なことに違いないが、言語も含めて、各地方の文化を大切にすることの本質的な重要さから見れば、とるに足らぬとこといってよいのであろう。言語の違いを超えた、スイス人の平和を守る連帯は、各地域の人民の生活の豊かさを守る決意に支えられている。
 戦前、ウチナーグチが圧迫を受けたことは、日本の近代文明なるものの底の浅さを露呈したものとみてよいであろう。「おもろ」やウチナーグチや沖縄の芸能を大切にすることが、日本の文化を豊にし、平和に対する強い欲求につながるものであるということを、改めて確信させられた。  

琉球新報 落ち穂 1978年4月23日