2012年8月23日木曜日

1978.6.22 琉球新報 落ち穂「少年たちは小鳥の群」



少年たちは小鳥の群

「僕もパリへ行こうか」と、冗談にいうと、「おい、無茶をいうなよ」といかにも困るといわんばかりにあわてて制止した。「ちょっとパリまで行ってくる」と彼がいって、フランスの貨客船・ラオス号に乗りこんだ時、見送りに行った横浜埠頭でのことである。考えてみるともう十年も前のことである。彼は、インド経由パリへ向かったが、遂にそれから一度も日本へ帰っていない。あの頃は、僕もまだ無茶しそうな様子があったのか、彼のあわて方が目に見えるようだ。
 パリのはずれにあるアパルトマンの、彼のアトリエで石油ストーブをたき、サラダとロシアの蟹罐を肴にしてシャンペンを傾ける。久しぶりで会う彼は、顔一杯ヒゲをはやしたくましくなった感じだ。顔の色艶もよい。絵も相当売れているらしい。
「居心地よさそうだなあ」というと、
「日本を忘れて困るよ」という。
 窓から、裏ぶれた感じの、暮れゆくパリの屋根々々を見る。近くに空地でもあるのか、悪童達が何やらペチャクチャしゃべっているらしい。その声が、まるで枝から枝へと、とびうつりながら、さえずりあっている、小鳥の啼き声のようだ。「少年達の声が小鳥のようだ。小鳥のようだよ」と思わずつぶやく。彼は静かに笑っていた。
 その時、どうした訳か、戦前の那覇の港の風景が急に頭にうかんだ。
 出船・入船で賑わう通堂も、夕暮になると、ひっそりかんとして、風に揺れている大きな港のガジュマルまでがいかにも淋しげであった。港から西新町や、本町へ至るあたりには、大きな倉庫が多く、あやしげなくらい静かであった。
 寝ぐらをさがす雀の大群が、広い空を右往左往しはじめる。夕食前のひととき、街の悪童達は誰ともなく空地の隅に集まって、何かしらペチャクチャしゃべり合って時を過ごした。その声が、丁度小鳥の啼き声のようであったことに思い至った。
 港へサーター車を曳いてゆく馬が、よく糞をたれた。それが強烈な日光で乾燥し、黄色っぽい塵となって街にたちこめた。その匂いも含めた、港一帯の街の匂いがなんともいえず懐かしい。
 勿論、パリには馬糞の匂いはない。しかし、人なつこい、親しげな匂いが流れているようだ。身も心も浸して、じっとしていたいようなやすらぎを感ずる。これは単なる旅の感傷なのだろうか。

琉球新報 落ち穂 1978年6月22日