2012年8月27日月曜日

1992.4.10 沖縄タイムス 唐獅子「二日酔の敗戦日」



二日酔の敗戦日

 私の属する部隊は、米軍の上陸に備え、都城から薩摩半島の山の中へ移動。新兵は、棒の先へ着けた地雷を、戦車の下の隙間へ突っこみ、自分の肉体もろとも戦車を爆破する「対戦車肉迫攻撃」の訓練に明け暮れていた。隼人町を除き、鹿児島県の全市町が焼失。B29の大編隊が、一日何回も、上空を北へ向う。鹿児島市の女は髪を切り、男に変装して、山へ逃げたという噂。広島市にピカドンと、訳のわからぬ爆弾投下の風評。大本営の、戦意高揚のラジオ放送にもかかわらず、隊内には、厭戦気分が拡がりつつあった。
 憲兵にみつかったら、銃殺のおそれがあるのに、逃亡兵が増大。「逃亡兵捜索」の命令が、私とK伍長に伝えられたのは、八月十三日の夕刻であった。私は「おかしい」と想った。一体どのように逃亡兵を捜せというのか。私自身、できれば逃亡して、沖縄の最後を見とどけたいと考えたぐらいだのに。
 伍長が笑いながら言った。
「軍曹殿、あなたはオキナワでしょう。休暇があったのに帰れなかった。せめて私と一緒に、遊んでこいということですよ」
 中国大陸で、戦争の悲惨さを嫌というほど味わった五十前後の中隊長は、人情味あふれ、私とはうまがあった。なるほど、彼の計らいかと納得した。
 伍長の家は、宮崎県飫肥郡の山間の造り酒屋。国鉄、バスと乗り継いで、やっと十四日夕方到着。大酒くらい意識不明。翌朝、裏の渓流へ降りる。前を行く伍長と婚約者の手を繋いだ姿が、二日酔の目に映る。「この野郎」と思わず呟く。冷たい流れが素足に心地よい。まわりは、深い森の樹や草の精気に満ち、せせらぎが、生命の歌を静かに奏でている。戦争が夢のようだー限りない静寂の豊かさー。突然伍長が叫んだ。「おかしいぞ!。B29の爆音が全く聞こえない」。
 その日を肺尖の日と確認したのは、原隊に復帰し、しばらく経ってからである。

沖縄タイムス 唐獅子 1992年4月10日