2012年8月26日日曜日

1992.2.14 沖縄タイムス唐獅子「オリオンがきれい」



オリオンがきれい

 一月十日、十時すぎ、玄関を出ようとすると、うしろから息子が声をかけた。
「どこへ行くの?」(オヤジ、大酒くらって、また体調くずすなよ)と、心配してのことだろう。
「うん、久しぶりに星をみてみようかなあ」と、答えて、外へ出た。
 南に向き、天頂を仰ぐと、整然とならんだ三つ星が鮮やかだ。「ああ、きれい」と、おもわず呟く。快晴。じめじめして、曇り日や、小雨の多い沖縄の冬にしては、珍しく澄んだ空だ。梯子で屋上へのぼる。てのひらに、ひんやりと冷たいセメントの上へ、頭を北に、仰向けに寝る。切歯一八度ぐらいだろうか。毛糸のセーターを着こんでいるので、寒いという程ではない。
 三つ星は、狩りのうまい巨人オリオンの、ベルトのあたり。それを四つの星が四角にかこむ。左うえの赤い一等星、ベテルギウスは右肩、その対称点にある、白い一等星、リゲルは左足首。視線を下に移してゆくと、少し東よりに、全天で一番明るいシリウス…。
 無数の星をじっと、見つめていると、星がゆっくり移動する。私の躰も、星の群に吸いこまれるように動いてゆくようだ。大気も、大地も、海も、ありとあらゆる生きものが、闇の中で動いてゆく…。
 地球から太陽まで、一億四千九百六十万キロ、秒速三十万キロの光で、約八分間の距離。銀河系外星雲までは百数十万年かかるという。ヒトは太陽系の一惑星の表面で、薄い大気の膜に包まれて生きている。ヒトは自然のかけらにすぎない。しかし、そのヒトが大気をおかしくしている。生態系にもとづく、ヒトと自然のあらたな関係、新しい価値体系を構築しないと、ヒトはあぶない…。
 西の方に目をやると、上弦の月が、まぶしく浮かんでいる。私にはそれが、誤って殺した、愛するオリオンへ捧げる、月の女神、アルテミスの、大きな銀杯にみえた。

沖縄タイムス 唐獅子 1992年2月14日