2012年8月31日金曜日

1986.8 水彩画集 シリーズ馬1984 あとがき



山之端一博水彩画集  シリーズ馬1984

印刷発行日 1986年10月10日
発行所 アトリエ風樹庵・山入端一博
印刷・製本 ダイコロ株式会社 大阪市北区天満2丁目1番1号

あとがき  馬之介のことなど

 「もうカジマヤー(97才の生年祝)に近い老馬ですが…」と、沖縄の在来家畜の保存に情熱をもやしている、名護博物館長の島袋正敏氏が、ホーチマターの小さな果樹園へ宮古馬を連れて来たのが1983年の夏だった。
 肩甲骨の上の首のつけ根あたりが盛り上がった、この老馬はやせてはいるが骨太で筋肉がしまり、主人の為によく働いた馬であることを示していた。内気そうに、うつむき加減に初対面の私をみつめる不安そうな眼、しかし、どこか図太く、いたずらっぽさもチラリとみせる眼、―「ウーン、これはコージャーウマグワーだなあ」と思わず感じた。
 コージャーウマグワーというと私にはうすよごれた見ばえのしない、しかし、がっしりした背の低い馬という印象がある。競馬場で活躍しているサラブレッドのようなスマートな美しさや、日本の陸軍砲兵隊にも奉仕した、フランス原産のペルシュロンのような威風堂々たるたくましさとはまったく縁がないが、ウチナーウマグワーという何とも言えぬ親近感があった。
 老馬は子供達を背中にのせて、よく遊んでやり、「馬之介」と名づけられて、たちまち子供達の人気の的となった。馬之介は眉のところが白く、左右に乱れたたてがみにも白髪がまじっていたが、それは年のせいではなく生まれつきだったにちがいない。老境に入り、白髪の増えつつある私は、同僚相憐れむの気持ちから、ひそかに彼を、「眉白―マユジラー」と呼んでいた。
 水彩画シリーズ「馬」のモデルは必ずしも馬之介ではないが、彼の出現が、創作意欲をかきたてたのはたしかである。たとえコージャーウマグワーでも馬は馬である。馬のもっている独特の神秘的・ローマン的な雰囲気がどこかにあった。手綱を離れた馬之介が背筋を充分のばし、たてがみを波うたせて、優雅な中距離ランナーのように、軽やかに、大地を蹴って走り廻ったこともあった。「やはり馬だなあ」と思わず眼をみはったものである。
 フランスとスペインの国境にちかい、ラスコーの洞窟に描きこまれた馬の絵によって、人と馬とのつき合いが数万年前の遠い昔にさかのぼることがわかる。農耕・運搬・軍事と馬は最近まで活躍していた。馬が急に姿を消しはじめたのは30年くらい前からにすぎない。
 戦前、名護の私の家の馬屋には、灰色の気の荒い大きな馬が飼われていたし、那覇の港へは砂糖樽をつんだ荷馬車が跡を絶たなかった。戦時中、私は本土の歩兵隊の中の大隊砲部隊に属していた。陸軍で最も小さな大砲であったが、長い行軍の時は馬が曳いたし、直径80ミリもある重い弾丸を運ぶのも馬であった。
 復員しても、すぐ沖縄に帰れず、仲間と共に鹿児島の塩田でしばらく塩作りをやったが、その当時、軍馬を払い下げてもらい非常に助かった。
 黄金色のたてがみと、ふさふさしたしっぽをもった赤茶色の大きな馬が、真夜中に馬小屋から逃げ出して附近の原野をさまよい歩き、運悪く国鉄にはねられて死んでしまった。その馬を仲間と共に砂浜に埋葬した時の暗い、冬の、灰色の悲しい空がいまだに忘れられない。
 自動車やトラックターの普及によって、馬は無用となり捨てられた。除草剤によって馬の生命であった雑草も除かれている。そして土と空気が汚されている。馬や雑草や多くの生命と共生できる世界を夢みるのは妄想であろうか。
 30数年ぶりで馬とつき合うことになり、様々なおもいをこめて馬の水彩画を試みてみた。いまだに画学生をもって任じている私は透明・不透明と違った絵の具を使い、ちがった描き方で色々と表現してみた。1年程で作品も大分たまったので、1984年の8月、名護博物館ギャラリーで「シリーズ・馬・水彩画展」を開催した。
 展覧会を見終わった人から「作品を一つにまとめたら面白いのではないか」という意見がしばしば出た。会場を一巡すると、一枚一枚の作品ではだせない、絵巻物のような変化があり、面白い。記録として、一つにまとめておくべきだという気持ちが働いた。
 カメラマンとしてもすばらしい博物館長が作品一つ一つをきちんとカメラに納めるという、うるさい仕事もしてくださった。
 一枚一枚の絵は未熟だし、まとめるとなると「画集」ということになるし、「画集」では大げさで気が重かった。体調もおもわしくなく、まとめるのが延び延びになっていた。
 たまたま、今年の春、私が奈良県の桜井高等学校の教師をしていた頃の生徒の一人であった、ダイコロ株式会社の嶋岡和雄氏が画集の話を聞き、是非、出版するようにとすすめてくれた。2年たった今でも、なお出版したい気持があるのだから出版にふみきるべきだと決心した。
 丁度、その頃、肺炎を患い、ゼーゼーと息をし、時々大きな咳をするようになっていた馬之介が斃れて立てなくなり、4月30日遂にこの世を去った。死んだ馬之介の黄ばんだ歯並の中にがっちりと噛みこまれた新鮮な緑色の雑草が印象深い。「そう簡単には死ぬなよ。」「最後まで生き抜かねば駄目だぞ。」と語りかけているようであった。
 この画集は2年前のささやかな「馬シリーズ」の記録である。一人でも多くの共感する方があれば、馬之介もよろこぶにちがいない。

 1986年8月 山之端一博 アトリエ風樹庵にて